夏侯泉

魏志曰「泉字妙才、沛國人也、為征西護軍、魏太祖使帥諸將討(宋)建、拔之。」
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝注引『魏志』)

我々はこの「泉」という名の人物を知っている!いや!この官位と戦歴を知っている!






これはどうみても「夏侯淵」のことである。
というか『後漢書董卓伝の「夏侯淵」というところに付いている注釈である。




ではなぜ夏侯淵が「泉」と呼ばれているのか。





「淵」という字は唐王朝の初代皇帝の諱であり、唐王朝の人間は使うことを避けなければいけない字の一つである。




避けようがない場合でも、別の字に置き換えて書くことを強いられているのである。



「虎」という字もその一つで、唐王朝の書物では「虎賁」が「武賁」と書かれていたりするのだ。




そして、『後漢書』の注釈はそもそも唐王朝の皇太子李賢が完成させたものであり、当然に唐王朝の諱を徹底的に避けているのである。



で、夏侯淵については「淵」とまあ比較的近い意味の字である「泉」に置き換えて表記した、ということなのだ。




このケースは夏侯淵だからすぐに気付くが、下手をすると気づかずにスルーしてしまいかねないという割と厄介な地雷である。