『漢書』宣帝紀を読んでみよう:その3

その2(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180202/1517498479)の続き。




既壯、為取暴室嗇夫許廣漢女、曾孫因依倚廣漢兄弟及祖母家史氏。
受詩於東海澓中翁、高材好學、然亦喜游俠、鬬雞走馬、具知閭里奸邪、吏治得失。數上下諸陵、周徧三輔、常困於蓮勺鹵中。尤樂杜・鄠之間、率常在下杜。時會朝請、舍長安尚冠里、身足下有毛、臥居數有光燿。毎買餅、所從買家輒大讎、亦以是自怪。
(『漢書』巻八、宣帝紀

宣帝こと劉病已は、成長すると許広漢という人物の娘と結婚した。

(許)廣漢坐論為鬼薪、輸掖庭、後為暴室嗇夫。
時宣帝養於掖庭、號皇曾孫、與廣漢同寺居。時掖庭令張賀、本衛太子家吏、及太子敗、賀坐下刑、以舊恩養視皇曾孫甚厚。及曾孫壯大、賀欲以女孫妻之。是時、昭帝始冠、長八尺二寸。賀弟安世為右將軍、與霍將軍同心輔政、聞賀稱譽皇曾孫、欲妻以女、安世怒曰「曾孫乃衛太子後也、幸得以庶人衣食縣官、足矣、勿復言予女事。」於是賀止。
時許廣漢有女平君、年十四五、當為内者令歐侯氏子婦。臨當入、歐侯氏子死。其母將行卜相、言當大貴、母獨喜。賀聞許嗇夫有女、乃置酒請之、酒酣、為言「曾孫體近、下人乃關内侯、可妻也。」廣漢許諾。明日嫗聞之怒。廣漢重令為介、遂與曾孫、一歳生元帝
(『漢書』巻九十七上、孝宣許皇后伝)


許広漢というのも宦官である。


宦官張賀は本当は自分の孫娘を劉病已に嫁がせようと思っていたが、弟の右将軍張安世が霍光らとの関係を考えて反対したため、張賀が部下許広漢(許広漢の務める暴室というのは掖庭令張賀の管轄下である)の娘を斡旋した、というところらしい。



「嫁ぐはず(嫁いだ)が相手が急死して家に残っていた」というのはこのあたりの時代の皇后によくある経歴である。





祖母の実家史氏と忠臣張賀、そして許広漢の家から金を引き出せる劉病已は、高等教育を受ける一方で無頼漢の真似事のようなこともしていたらしく、そこで世間の諸問題を知ったのだ、という。




「闘鶏や馬遊びをした」とか、「食い物を買うとその店が儲かった」とか、前後のほかの皇帝でも出てくるエピソードや不思議現象である。




なお、既に妻子がいる身だが、まだ数えで18歳である。