王必と胡婢と韋晃と韋誕

少しばかり昔の記事だがhttp://d.hatena.ne.jp/chincho/20090922/1253557676というのがあった。



曹操の丞相長史王必は、あの吉本の乱の首謀者の一人金禕から、射撃が得意な胡婢を手に入れていた、という。


ということは元々はその胡婢は金禕の元にいたわけだ。



金禕ははるかな先祖は匈奴とはいえ、王必と同じ許県にいたようだから、どうやって射撃が得意という胡婢を入手したのだろうか。


射撃が得意ということは涼州方面で生まれ育ったのだろう。



涼州の刺史といえば韋康・韋端である。



そして金禕と共に反乱した人物に出身不明の丞相司直韋晃というのがいる。



金禕や吉本も三輔の出身であることを考えると、韋晃も三輔の出身であろう。
つまり韋康らの親族ということだ。



ということは、胡婢は元々は韋康らが口を利いたか贈ったかしたのではないだろうか。




・・・という妄想である。





吉本の乱の一因に、韋端が救われなかったことで三輔の韋氏が曹操に対し含むところがあったのだ、と強引に繋げようとしたのである。




能書家韋誕(韋仲将)が高所の題字を書かされたというのも、反乱者の親族韋誕に対する一種の嫌がらせだったという可能性が微レ存・・・?