ひとこと

後漢末のいわゆる吉本の乱を起こした高官の中に丞相司直韋晃というのがいる。




もし彼が涼州刺史韋康の近親だとしたら、彼が敢えて曹操に刃向おうとした理由が説明できるかもしれないな。





韋康が8カ月の籠城戦の末に討たれたことを、曹操が適切な対策をしないでおいた人災と考え、曹操を仇と思ったという風に言えるんじゃないだろうか。



また実際にそこまで思っていなくても、そのあたりの事情から韋氏近辺が曹操から次第に遠ざけられていくような疎外感を味わい始め、そこが反乱の一因になった、ということもあるかもしれない。