蜀の将軍の子

蜀記載晉武帝詔曰「蜀將軍傅僉、前在關城、身拒官軍、致死不顧。僉父肜、復為劉備戰亡。天下之善一也、豈由彼此以為異?」僉息著・募、後沒入奚官、免為庶人。
(『三国志』巻四十五、楊戯伝附『季漢輔臣賛』注引『蜀記』)


晋の武帝司馬炎は「蜀の将軍傅僉は城を枕に討死したし、その父親も劉備のために戦って死んだ。あっぱれ!」と詔を出し、捕らわれて奴隷となっていた傅僉の子の著・募の身分を解放してやったという。



この時代、国を滅ぼされたら将軍の子といえども(将軍の子だから、かもしれないが)奴隷となる運命だったのだなあ。