赦と劉表・劉璋

華陽國志曰、丞相(諸葛)亮時、有言公惜赦者、亮答曰「治世以大徳、不以小惠、故匡衡・呉漢不願為赦。先帝亦言吾周旋陳元方・鄭康成輭、每見啓告、治亂之道悉矣、曾不語赦也。若劉景升・季玉父子、歳歳赦宥、何益於治!」
(『三国志』巻三十三、後主伝注引『華陽国志』)


諸葛亮曰く「国を治めるには大いなる徳によるべきであって、ちっぽけなお恵みなどすべきでない。先帝(劉備)は陳紀・鄭玄みたいな大人物とお付き合いがあったが、恩赦のことなど言ったことが無かった。しかし劉表劉璋親子は毎年のように恩赦していたけれど、国を治める上で何か役に立っていただろうか?」




恩赦というのは皇帝の大権であるから、漢の昭烈帝劉備が語るのはおかしくないし、後主劉禅の摂政と言っていい諸葛亮が恩赦の少なさを指摘されるのもおかしくはない。


しかし、皇帝でも摂政でもないはずの劉表劉璋が恩赦を出していたと思われることを諸葛亮が語っているのは注目に値する、かもしれない。