劉信は生きていた

於是吏士精鋭遂攻圍(翟)義於圉城、破之、義與劉信棄軍庸亡。至固始界中捕得義、尸磔陳都巿、卒不得信
(『漢書』巻八十四、翟義伝)


王莽が権力を握った後、それをよしとしない翟義は厳郷侯劉信なる人物を皇帝に立てて蜂起したが失敗、敗北した。



翟義と劉信は逃亡したが翟義は捕えられて磔にされたが、劉信はついに見つからなかったという。



漢書』王子侯表下や同東平思王宇伝などを見ると劉信も捕えられ殺されたかのように思えるが、もしかすると実は劉信本人の死亡は確認されていなかったのかもしれない。



小説的には「皇帝を名乗った劉信は実は生きていた」っていうのは面白い話にできるのかもしれない。