國之司直2

獻帝起居注曰、建安八年十二月、復置司直、不屬司徒、掌督中都官、不領諸州。九年十一月、詔司直比司隸校尉、坐同席在上、假傳置、從事三人、書佐四人。
(『続漢書』志第二十四、百官志一注引『献帝起居注』)


後漢末の司直について。


司直は前漢時代、丞相属官として存在していた監察官である。


後漢では初期に廃止されて以降長らく置かれていなかったが、後漢末になって復活している。


上記のとおり当初は司徒に属せず、中央の官を監察して州は所管しなかったという。

そして翌年、司直は司隸校尉と同等以上の格式とされ、同時に「伝置」を貸し与えられたという。

「伝置」とは早馬とその設備のことなので、高速通信網の使用を認められたのである。




さて、この時の司直は中央の官のみを監察するものであるはずなのになぜ高速通信を必要としたのだろうか。
中央にいて中央の官を監察するのだから、監察の任務では早馬はあまり必要とはしないのではないか。


思うに、これは監察した後にその内容を早急に伝えなければいけない相手がいたのだろう。

すなわち、皇帝の元を離れがちになっている司空様である。


権限、命令系統の上でどうなっていたかはともかく、事実上皇帝を超える最高権力者に、司直は監察した内容を誰よりも早く教えなければいけなかったということなのだろう。

逆に言えば、司空様が中央の官僚を監視するために置かれていたのが当時の司直だったということを物語るのがこの高速通信網使用許可なのではないか、ということになる。