事件は朝廷で起きてるんじゃない、西域で起きてるんだ

西域都護、加官、宣帝地節二年初置、以騎都尉・諫大夫使護西域三十六國、有副校尉、秩比二千石、丞一人、司馬・候・千人各二人。
(『漢書』巻十九上、百官公卿表上)

前漢の西域都護は本官に加えて任命される加官であり、副官として副校尉が置かれた。西域都護の本官は騎都尉や諫大夫であったという。

騎都尉、比二千石。本注曰無員。本監羽林騎。
(『続漢書』志巻二十五、百官志二)

武帝元狩五年初置諫大夫、秩比八百石。
(『漢書』巻十九上、百官公卿表上)

ところで、騎都尉の官秩は比二千石、諫大夫は比八百石であったという*1


西域都護は副官の西域副校尉と官秩が同じか、副官の方が上なのである。


だがこれは一見不思議なようで実はそれほど不思議なことでもない。
州と郡の関係でも、官秩の低い部刺史が官秩の高い太守を指揮監督している。
これと同じなのである。


おそらく、副校尉とそれ以下の属官は現地の実働部隊で、西域都護は漢の朝廷が直接派遣してくる中央政府代理人という関係なのだろう。
ノンキャリアとキャリアとか、織田裕二柳葉敏郎とか言い換えてもいいかもしれない。



中央にとっては辺境の地へやられる役回りなので、必ずしも高官ではない。
むしろ官秩は低い駆け出しがキャリアの初期に経験する種の仕事なのであろう。

一方、副校尉はノンキャリア組の実質トップなのでベテランであり、官秩そのものは高いのであろう。



現代日本でも見られるような官僚組織の縮図が、西域にも出現していたのである。


*1:引用する騎都尉の官秩は後漢のものだが、これは文のわかりやすさを優先して敢えて『続漢書』を引用しただけで、前漢でも同様であったと思われる。