孟賁

孟光字孝裕、河南洛陽人、漢太尉孟郁之族。
【注】
漢書曰、郁、中常侍孟賁之弟。
(『三国志』孟光伝)

王康・王國・彭緂・王成・趙封・魏猛六人皆早卒。黄龍・楊佗・孟叔・李建・張賢・史汎・王道・李元・李剛九人與阿母山陽君宋娥更相貨賂、求高官筯邑、又誣罔中常侍曹騰・孟賁等。
(『後漢書』宦者列伝、孫程)

三国蜀にいた学者の孟光は、太尉孟郁の一族と書かれているが、これは即ち中常侍孟賁の一族ということに他ならない。


要は宦官の一族である。

孟賁はあの曹騰の仲間だったらしく、宦官同士の争いの際は曹騰と共に讒言されたが生き残っていた。

孟光は容赦ない発言がアダになって後輩に出世で追い抜かれたと記されているのだが、もしかすると宦官の近親というのも微妙に影を落としていたのかもしれない。


虎賁舊作虎奔、言如虎之奔走也。王莽輔政、以古有勇士孟賁、故以奔為賁。比二千石。
(『宋書』百官志下)

これは直接は関係ないことだが、「孟賁」というのはどちらかというと後漢の宦官よりは「いにしえの勇士」の名の方がずっと有名である。
漢書』などでよく引き合いに出されている。

この有名な歴史上の人物と同姓同名を名乗るというのは、いわば現代人が「源義経」とか「西郷隆盛」とか名乗るようなもので、なかなか勇気のいる(あるいは無知)行為ではなかろうか。