http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100923/1285172733の記事において、後漢末の公孫度は州を自作したと述べた。
公孫度は平州牧を自称しているわけだが、これも自作である。
しかし、全く根拠なく創作したわけでもなさそうだ。
王莽の時代、「平州」があったらしいのだ。
前漢において州としては「平州」は存在していない。
王莽は官名や地名を改変しまくったことで有名なので、王莽が作った州なのではないだろうか。
公孫度が名乗った平州牧というのも、王莽時代の名称を踏まえたものだったのではないだろうか。
なお、平州はその後公式化される。
(泰始十年)二月、分幽州五郡置平州。
(『晋書』武帝紀、泰始十年)
おそらくだが、王莽の平州、公孫度の平州、晋の平州は同じ場所のことを示しているのだろう。