『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その4

その3の続き。


五年正月朔、北軍南門災。
以大司馬司允費興為荊州牧。見、問到部方略、興對曰「荊・揚之民率依阻山澤、以漁采為業。間者、國張六筦、税山澤、妨奪民之利、連年久旱、百姓飢窮、故為盜賊。興到部、欲令明曉告盜賊歸田里、假貸犂牛種食、闊其租賦、幾可以解釋安集。」莽怒、免興官。
天下吏以不得奉祿、並為姦利、郡尹縣宰家累千金。
莽下詔曰「詳考始建國二年胡虜猾夏以來、諸軍吏及縁邊吏大夫以上為姦利筯産致富者、收其家所有財産五分之四、以助邊急。」
公府士馳傳天下、考覆貪饕、開吏告其將、奴婢告其主、幾以禁姦、姦愈甚。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

  • 天鳳五年(紀元18年)

天鳳五年正月一日、北軍の南門で火災があった。



大司馬司允の費興が荊州牧となった。王莽に謁見し、王莽が荊州に着任してからの戦略について尋ねたところ、費興は答えた。「荊州・揚州の民は山や沢に依拠し、漁業や採集を生業としております。先に六種の管理を行い、山や沢にも税をかけて民の利益を妨げ、更に連年旱魃が起こり、民は飢えて困窮したため、群盗となったのです。私が荊州に赴任したら、群盗たちに自分の土地に戻るよう布告し、牛や種子や食料を貸し与え、租税や賦役を和らげ、群盗を解散させて故郷に集めようと思います」
王莽は怒って費興を罷免した。



天下の官吏は俸給を得られないためにみな汚職に手を染め、郡尹や県宰は家ごとに金千斤を積み重ねるほどであった。
王莽は詔を下した。「始建国二年に匈奴が中華を乱して以降を詳しく調べたところ、軍吏や辺境の吏の大夫以上で汚職を行って資産を増やした者は、その家の財産の五分の四を没収し、辺境の急を要する費用に充てる。」
公府の士が駅伝を使って天下に急ぎ馳せ伝えて貪婪な官吏を調べ上げさせ、官吏がその大将を密告し、奴婢が主を密告するのを認めて汚職が止まることを期待したが、汚職はいよいよ酷くなった。



あーもうめちゃくちゃだよ。


莽即真、尤備大臣、抑奪下權、朝臣有言其過失者、輒拔擢。孔仁・趙博・費興等以敢撃大臣、故見信任、擇名官而居之。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)


ここで王莽の不興を買った費興は、元は弾劾によって王莽に気に入られた新進の能吏であったそうな。


そんな人物も正論っぽいことを言ったら途端に罷免されるという闇。
先日も出てきたように、王莽のこれまでの制度、政策を否定することによって乱を抑えようというのが気に入らなかったのだろうか。というか政権批判に聞こえたのか(というか実際政権批判だが)。





部下が上司を、奴婢が主を密告することを奨励。これは危険な匂いがしてしかたないですねえ・・・。