『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その13

その12の続き。


莽既説衆庶、又欲專斷、知太后猒政、乃風公卿奏言「往者、吏以功次遷至二千石、及州部所舉茂材異等吏、率多不稱、宜皆見安漢公。又太后不宜親省小事。」
太后下詔曰「皇帝幼年、朕且統政、比加元服。今衆事煩碎、朕春秋高、精氣不堪、殆非所以安躬體而育養皇帝者也。故選忠賢、立四輔、羣下勸職、永以康寧。孔子曰『巍巍乎、舜禹之有天下而不與焉!』自今以來、惟封爵乃以聞。他事、安漢公・四輔平決。州牧・二千石及茂材吏初除奏事者、輒引入至近署對安漢公、考故官、問新職、以知其稱否。」
於是莽人人延問、致密恩意、厚加贈送、其不合指、顯奏免之、權與人主祈矣。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)


王莽は既に人々を喜ばせ、また更に専断の権限を得ようとし、元后が政治に嫌気がさしていることを知り、大臣たちに仄めかして「これまで、功績の順番をもって二千石にまで昇進させてきた官吏、また州で推挙した茂才などの優れた官吏は、実力が見合っていない者が多いので、安漢公に面接させるべきです。また、元后はこまごまとしたことについては自分で決裁しないようにするべきです」と上奏させた。



そこで元后に「皇帝は幼少であったため朕がしばらく政治を見ていたが、元服の年齢となった。今、政治のこまごまとしたことが煩瑣であり、朕は高齢で仕事をする元気もない。これは我が身をいたわり皇帝を養育する目的に合わないことではないか。ゆえに忠実で賢明な人材を四輔とし、群臣にそれぞれの職務を果たすよう勧め、長く安んじるようにしたのである。孔子は「なんと広大なことか、舜や禹が天下を治めながら自らは政治に預からないでいたことは!」と言っていた。今より、朕には爵位を授けることのみ決裁を求めよ。それ以外のことは、安漢公と四輔が代理決裁せよ。州牧や二千石および茂才に推挙された官吏が最初に任官して上奏する際には、安漢公が面接して元の官を尋ね、新任の官について質問し、その能否を確認せよ。」と詔を出させた。



こうして王莽は一人一人面接して恩を売り、更に贈り物をし、もし王莽の気持ちにそぐわない者であった場合には上奏して罷免したので、権力は君主と同等になった。


王莽はついに人事権を事実上独占する。


州牧や二千石(主に太守)などの叙任に際して必ず面接するということは、王莽に気に入られなければ高級官僚でいられないということだし、逆に王莽の意に沿えば余禄がある。そうなれば、相当な硬骨漢でもなければ誰もが王莽に気に入られるようにすることになるわけである。