審配と弩

公復謂曰「曩日孤之行圍、何弩之多也?」配曰「恨其少耳!」
(『三国志袁紹伝注引『先賢行状』)

曹操袁尚らの本拠である鄴を落とし、抵抗していた袁尚の将である審配を捕縛した。

曹操は袁氏への忠誠を誓う忠烈の士審配と会話したが、その時の一節。


「前に私が包囲したときは、ずいぶん弩を多く持っていたではないか」
「少なかったのが恨めしい」


審配の忠烈とかはこの際関係ない。
ここで気になったのは、曹操が審配の弩について言及したこと。

審配の一族はおそらく当時の魏郡ではかなりの大族だったと思われるが、弩をその財力で蓄えたのだろうか。


袁氏の軍の強さの根幹はこの弩にあったのかもしれない、とまで言ってしまっては飛躍だとは思うが。