『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その28

その27(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/05/31/000100)の続き。





九年秋八月戊寅、曹操大破袁尚、平冀州、自領冀州牧。
冬十月、有星孛于東井。
十二月、賜三公已下金帛各有差。自是三年一賜、以為常制。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安9年。



袁尚が破れ、曹操冀州を平定する。



袁尚との鄴の攻防では長期間の籠城があり、水攻めで鄴城内では多数の死者を出したとされる。



袁尚は逃げ、袁尚を立てた審配は殺された。


建安中、袁紹為中子熙納之。熙出為幽州、后留養姑。及冀州平、文帝納后于鄴、有寵、生明帝及東郷公主。
(『三国志』巻五、文昭甄皇后伝)

かの甄氏が曹丕の妻妾となったのはこの時であった。当ブログのマスコットキャラの一人烈祖様は、それからほどなくして生まれた事になる。






それにしても、3年にいちどの皇帝からの御下賜が定例となる、という一文、なかなかに味わい深い。


献帝自身の意思だったとしても、それ以外の人物の差し金だったとしても。