曹丕と孔融

初、曹操攻屠鄴城、袁氏婦子多見侵略、而操子丕私納袁熙妻甄氏。融乃與操書、稱「武王伐紂、以妲己賜周公」。操不悟、後問出何經典。對曰「以今度之、想當然耳。」
(『後漢書』列伝第六十、孔融伝)

後漢末の孔融曹操らによる袁氏婦女乱取り、ことに息子曹丕による甄氏略奪をあてこすって、手紙で「周の武王が紂王を討った時には、紂王が寵愛した妲己を周公旦に下賜しました」という文を書いた。



曹操はその真意を悟らず、「何が出典なの?」と聞いてきたため、孔融は「今に照らし合わせて考えたらそうであったに違いない、という事です」と答えたのだという。


ボケ潰しとも言えるが、聖人として名高い周の武王や周公旦がそんなことをするはずがない、という発想に至らないために不発に終わったという事でもあるので、実は結構深刻な話とも言えない事もない。



魏文帝深好(孔)融文辭、毎歎曰「楊・班儔也。」募天下有上融文章者、輒賞以金帛。所著詩・頌・碑文・論議・六言・策文・表・檄・教令・書記凡二十五篇。
(『後漢書』列伝第六十、孔融伝)


それはそれとして、件のあてこすりの直接の対象であったはずの曹丕自身は孔融をかなり高く評価していたというのが面白い。




その話を知らされてなかったのか(曹操にとっては恥ずかしい話なので隠したかもしれない)、それとも、知った上で文章の評価は変わらなかったのか。