帰義

典客、秦官、掌諸歸義蠻夷。有丞。景帝中六年更名大行令、武帝太初元年更名大鴻臚。
(『漢書』百官公卿表上)

四夷國王、率衆王、歸義侯、邑君、邑長、皆有丞、比郡・縣。
(『続漢書』百官志五)

漢代、「帰義」という言葉があった。
もっぱら「蛮夷」に対して使われた。つまり帰順した異民族である。

彼ら「帰義蛮夷」には、『続漢書』百官志に見えるように「国王」「率衆王」「帰義侯」「邑君」といった称号が与えられた。おそらく規模その他によって等級があったのだろう。
これらは諸侯王や列侯と同じ「王」「侯」といった爵位をあらわす語が使われているが、その扱いは全く違っていたようだ。
たぶん、異民族の習俗や組織などを保持しつつ漢に従わせる仕組みなのだろう。


先日記事にした「東海王」も、おそらくはこの「四夷国王」に当たるのではないだろうかと思われる。
「漢倭奴国王」もまた然り。


面白いことに、「王」「侯」であるのに副官に当たる「丞」が置かれていたと記録されている。
これはその「王」「侯」らのお目付け役なのかもしれない。