東海王

漢の東海王といえば有名なのは光武帝の嫡子だった東海王劉彊だろう。
また、その東海王劉彊と皇太子を入れ替わったのちの明帝は元々は東海王だった。
皇太子を入れ替わった時に領土も入れ替わったのだ。

前漢では東海郡は諸侯王の領地にはならなかった。


だが、実は東海王は前漢から存在していた。

閩越王無諸及越東海王搖者、其先皆越王句踐之後也、姓騶氏。秦已并天下、皆廢為君長、以其地為閩中郡。及諸侯畔秦、無諸・搖率越歸鄱陽令呉芮、所謂鄱君者也、從諸侯滅秦。當是之時、項籍主命、弗王、以故不附楚。漢撃項籍、無諸・搖率越人佐漢。
漢五年、復立無諸為閩越王、王閩中故地、都東冶。孝惠三年、舉高帝時越功、曰閩君搖功多、其民便附、乃立搖為東海王、都東甌、世俗號為東甌王。
(『史記』東越列伝)

というわけで、越王の子孫が前漢初期に東海王に立てられているのだ。
彼らは武帝の時代まで続いており、通常の諸侯王とは別個に考えられていたらしい。