左伝学者

尹更始傳子咸及翟方進・胡常。常授黎陽賈護季君。哀帝時待詔為郎、授蒼梧陳欽子佚、以左氏授王莽、至將軍。而劉歆從尹咸及翟方進受。由是言左氏者本之賈護・劉歆。
(『漢書』巻八十八、儒林伝)

遣五威將軍苗訢・虎賁將軍王況出五原、厭難將軍陳欽・震狄將軍王巡出雲中、振武將軍王嘉・平狄將軍王萌出代郡、相威將軍李棽・鎮遠將軍李翁出西河、誅貉將軍陽俊・討穢將軍嚴尤出漁陽、奮武將軍王駿・定胡將軍王晏出張掖、及褊裨以下百八十人。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)


蒼梧郡出身の陳欽という人は春秋左氏伝を修め、王莽に教えた。



おそらくその縁から王莽の元で将軍になったのだろう。




蒼梧郡出身の儒者が戦うこととなったのは匈奴であった。


会稽郡の人間が西域で成功する例もあるから一概には言えないとはいえ、あまり適材適所という感じはしない。




だが、もしかしたら色々な外交と戦争の記録と言うこともできる左伝をガチで研究している人間というのは、当時にしてみれば軍事アドバイザーみたいな存在として認知されたのかもしれない。