建平侯取り潰し

建平敬侯杜延年
(略)
侯憲嗣、建武中以先降梁王、薨、不得代。
(『漢書』景武昭宣元成功臣表)

前漢中期に列侯、建平侯となった杜延年。彼の子孫は列侯の爵位前漢滅亡まで保持した。
そして、どうやら新になっても地位を保ったようである。

しかし、新末の戦乱の中で、当時の建平侯杜憲は光武帝より先に梁王劉永の傘下に入った。
そのことが原因で杜憲の死後に爵位の継承が光武帝から(明帝かもしれない)認められなかったという。

ある意味では仕方ないこととはいえ、戦乱の世の習いはなかなか厳しいものである。