2010-06-15 建平侯取り潰し 前漢 新 後漢 建平敬侯杜延年 (略) 侯憲嗣、建武中以先降梁王、薨、不得代。 (『漢書』景武昭宣元成功臣表) 前漢中期に列侯、建平侯となった杜延年。彼の子孫は列侯の爵位を前漢滅亡まで保持した。 そして、どうやら新になっても地位を保ったようである。しかし、新末の戦乱の中で、当時の建平侯杜憲は光武帝より先に梁王劉永の傘下に入った。 そのことが原因で杜憲の死後に爵位の継承が光武帝から(明帝かもしれない)認められなかったという。ある意味では仕方ないこととはいえ、戦乱の世の習いはなかなか厳しいものである。