発弩官

南郡。秦置。高帝元年更為臨江郡、五年復故。景帝二年復為臨江、中二年復故。(王)莽曰南順。屬荊州。戶十二萬五千五百七十九、口七十一萬八千五百四十。有發弩官。
【注】
師古曰「主教放弩也」
(『漢書』地理志上)

前漢の郡の一つ、南郡。春秋戦国時代の楚の都があった土地であり、荊州に属し三国志っ娘になじみ深い江陵、襄陽、夷陵などがある郡である。

漢書』地理志によれば、この郡には「発弩官」なる官があったという。
この「発弩官」は他の郡には記録が無い。
注によれば弩の射撃を教習するということらしい。

なぜ南郡だけにあるのかよく分からないが、楚の都があった地に置かれているというのが興味深い。
項羽の時代などの楚の兵が精強であったというのは有名だが、もしかすると弩の扱いに長けていたことが精強さの要因の一つだったのではないだろうか。