『漢書』文帝紀を読んでみよう:その14

その13(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20171017/1508166551)の続き。




十五年春、黄龍見於成紀。
上乃下詔議郊祀。公孫臣明服色、新垣平設五廟。語在郊祀志。
夏四月、上幸雍、始郊見五帝、赦天下、修名山大川嘗祀而絶者、有司以歳時致禮。
九月、詔諸侯王公卿郡守舉賢良能直言極諫者、上親策之、傅納以言。語在鼂錯傳。
十六年夏四月、上郊祀五帝于渭陽。
五月、立齊悼惠王子六人・淮南窅王子三人皆為王。
秋九月、得玉杯、刻曰「人主延壽」。令天下大酺、明年改元
(『漢書』巻四、文帝紀

文帝前15年、前16年。




イエロードラゴン現る。



前回の記事で言及したが、公孫臣という人物は漢王朝のラッキーカラー(違う)は黄色(土徳)だと言っていた。そこにイエロードラゴンが出現したので、文帝はそれを信じ始めたのであるという。


其明年、(新垣)平使人持玉杯、上書闕下獻之。平言上曰「闕下有寶玉氣來者。」已視之、果有獻玉杯者、刻曰「人主延壽」。平又言「臣候日再中」。居頃之、日卻復中。於是始更以十七年為元年、令天下大酺。
(『漢書』巻二十五上、郊祀志上)


そして、謎の人物新垣平が謎の玉の杯の出現を予言したり、太陽がまた登るなどという超常現象を予知したりということがきっかけとなり、文帝は「改元」を行うこととした。



つまり、また新たに「元年」を称することにしたのである。




最初の「元年」からこの年までは「前○年」、翌年の新たな「元年」以降は「後○年」と呼ばれる。




また、後継ぎ無く死んだ斉王、および罪があって死んだ淮南王の子が何人も王になっている。



ただ、これは宙に浮いていた旧領を分割して相続したようなものであり、王ひとりひとりの勢力は弱まったと言える。



ちなみにこれはどうやら賈誼が提唱していたことらしい。



十五年、黄龍見成紀。
天子乃復召魯公孫臣、以為博士、申明土徳事。
於是上乃下詔曰「有異物之神見于成紀、無害於民、歳以有年。朕親郊祀上帝諸神。禮官議、毋諱以勞朕。」有司禮官皆曰「古者天子夏躬親禮祀上帝於郊、故曰郊。」於是天子始幸雍、郊見五帝、以孟夏四月答禮焉。趙人新垣平以望氣見、因説上設立渭陽五廟。欲出周鼎、當有玉英見。
十六年、上親郊見渭陽五帝廟、亦以夏答禮而尚赤。
(『史記』巻十、孝文本紀)

史記』では鼂錯などが参加した「賢良能直言極諫」の対策の事などが記されていない。