王になれないなら皇帝になればいい

前漢末の丞相翟方進の息子、翟義は王莽の専権時代に反乱を起こした。
彼は王莽が平帝を毒殺したと糾弾し、別の皇帝を立てて兵を発した。
王莽が簒奪を達成する前の最大のピンチ、最後の試練である。

(翟)義遂與東郡都尉劉宇・嚴鄉侯劉信・信弟武平侯劉璜結謀。(中略)嚴鄉侯信者、東平王雲子也。雲誅死、信兄開明嗣為王、薨、無子、而信子匡復立為王、故義舉兵并東平、立信為天子。義自號大司馬柱天大將軍、以東平王傅蘇隆為丞相、中尉皋丹為御史大夫、移檄郡國、言莽鴆殺孝平皇帝、矯
攝尊號、今天子已立、共行天罰。郡國皆震、比至山陽、衆十餘萬。
(『漢書』翟方進伝)

この時皇帝に立てられたのは厳郷侯劉信。
父は東平王劉雲。
兄は東平王劉開明
そして子は東平王劉匡。
父、兄、子が王になっているのに本人は侯のままという可哀想な境遇であった。

反乱に加担してでも皇帝になろうという気持ちも分からないでもない。