県国制

秦の統治制度は「郡県制」、漢は「郡国制」と呼ばれる。


自分はなんとなく漫然と「秦は国を滅ぼし、全土を代官に統治させた」と考えていたが、これはちょっと違うと最近思い直した。

秦の二十等爵の最上位は徹侯(列侯)。
列侯は食邑を与えられ、その封土は国と呼ばれる。

秦にも国とそれを(名目上)統治する君主は存在したのだ。
ただ、郡やそれ以上の大きさの国や王が存在しないだけなのだ。


列侯の国は最大で県と同格だから、秦の制度は「県国制」と呼ぶべきではないか。

いやそれは無いか。