劉備の死

時有傳劉備死者、群臣皆賀。渙以嘗為備舉吏、獨不賀。
(『三国志』袁渙伝)

豫州陳郡(陳国)の人、袁渙。
彼は豫州劉備によって茂才に推挙された。
茂才や孝廉に推挙されるというのは当時かなりのステータスであり、それに推挙してくれた人は「己を知る」恩人ということで推挙された側は彼に対し親や師匠のように義理立てするのが当時の習わしだった。

そんな彼がなんだかんだで曹操の魏国の高官となっていた頃のこと。劉備が死んだという伝聞があった。当時の群臣はみんな宿敵劉備の死を祝賀したが、劉備が恩人である袁渙だけは劉備に義理立てして祝賀しなかったという。


ところで、劉備によって茂才になったと思われる有名な人がもう一人いる。
九品官人法で有名な陳羣である。
彼もまた曹操に仕えた。

曹操の元へ劉備死すの報が流れた時、祝賀しなかったのが袁渙くらいだったとしたら、陳羣劉備に恩があったにもかかわらず劉備の死を祝賀したということになるのだろうか。

こういう事が陳羣の評判を下げ、「陳氏は陳羣よりも親父や爺さんの方が上だったねぇ」と言われるようになったのかもしれない。