墓守

十二月、高祖曰「秦始皇帝、楚隱王陳涉、魏安釐王、齊緡王、趙悼襄王皆絕無後、予守冢各十家、秦皇帝二十家、魏公子無忌五家」
(『史記』高祖本紀、高祖十二年)

漢の高祖劉邦は天下を統一した後、秦、楚、魏、斉、趙の王の後継者がおらず、墓を守る者も居ないことを憂慮し、墓守を置いてやるよう詔を出した。


楚王が秦に滅ぼされた負芻でもなければ劉邦が仕えた懐王でもなく、由緒ある戦国楚王の血を引かない陳勝のことであること。
そして韓と燕についてはその措置が取られていないこと。
以上二点、不思議な点がある。