漢の武帝の時代、全国の郡を州に分けて監察する刺史が置かれた。
その人数は13人。
しかし、『続漢書』郡国志などを見ると、州は12しかない。
- 豫
- 冀
- 兗
- 徐
- 青
- 荊
- 揚
- 益
- 涼
- 并
- 幽
- 交
残り一つはどうなったのか。視聴者からのクレームで欠番になったのか。
もちろん違う。
師古曰「胡廣記云、漢既定南越之地、置交阯刺史、別於諸州、令持節治蒼梧、分雍州置朔方刺史」
(『漢書』地理志上)
実は漢は雍州(=涼州)とは別に「朔方刺史」を置いていた。
これで13人なのである。
武帝が匈奴から奪い植民地化していたあたりである。
これは前漢一代の間続き、後漢では并州に吸収される形で消滅した。