孔丘先生の失言1

中国は春秋時代の魯あたりにいた孔丘先生は、しばしば反社会的な発言をしてしまうことで有名。

公山弗擾以費畔、召、子欲往。子路不說曰、末之也已。何必公山氏之之也。子曰夫召我者而豈徒哉。如有用我者、吾其為東周乎。
(『論語』陽貨篇)

これはマズイ。


「費という地で反乱した公山弗擾が孔丘先生を招いてきた。孔丘先生はその招きに応じようとした。弟子の子路は「先生何やってはるんすか。いくら行き先が無いからって謀反人のところに行くことは無いじゃないですか」と反対した。すると孔丘先生は「私を招くという事はそれなりの理由があるのであろう。私を用いる者さえいれば、私は「東周」を作ってみせようではないか」と言った。


先生は高い地位に招こうとする公山弗擾の高評価にすっかり舞い上がってしまい、胸にしまっておくべきことまで口にしている。

このとき、諸侯はてんでバラバラで天子の威厳など皆無とはいえ、先生がいる国「魯」は天子のおわす「周」の諸侯でしかない。

「東周」を作っちゃるという発言は「西にある今の周はダメダメだから、俺が本物の周を作っちゃうよ?」という、「天子をもう一人立ててやる発言」である。

つまり先生は公山弗擾に「天子を独自に立てて自立すればこの先生きのこれる。私が指導して差し上げようではないか」という畏れ多いにもほどがあるきのこり策を提示したのだ。どう考えても、真っ当な人間の考え方ではない。
心はすっかり謀反人なのである。


この先生の失言、放言っぷりは尋常ではない。
よく処刑されなかったと不思議でならない。