『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その51

その50(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/08/000100)の続き。





六年冬、命復天下縣邑。
或有告楚王信謀反。上問左右、左右皆曰、發兵以撃之。陳平曰、陛下用兵之精、孰與韓信。上曰、無能過也。平曰、陛下將有敵信者無。上曰、莫能及。平曰、臣竊為陛下危之。上曰、奈何。平曰、信未知有告反者。古者天子巡狩會諸侯、陛下偽出遊雲夢、會諸侯于陳、信必郊迎、因而執之。此一士之力。上從之。遂執信。訊信反無驗。黜信為淮陰侯。
田肯賀上曰、甚善。陛下得韓信而又王關中也。夫齊東有琅邪即墨之饒、南有泰山之固、西有濁河之阻、北有渤海之利、地方二千里、帯甲百萬衆、此亦東秦。非親子弟、莫可使王齊者也。上曰、善。賜肯金五百斤。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第三)


楚王韓信、反乱を疑われてあっさり捕まる。


項王亡將鍾離眛家在伊廬、素與信善。項王死後、亡歸信。漢王怨眛、聞其在楚、詔楚捕眛。信初之國、行縣邑、陳兵出入。
漢六年、人有上書告楚王信反。高帝以陳平計、天子巡狩會諸侯、南方有雲夢、發使告諸侯會陳「吾將游雲夢。」實欲襲信、信弗知。高祖且至楚、信欲發兵反、自度無罪、欲謁上、恐見禽。人或説信曰「斬眛謁上、上必喜、無患。」信見眛計事。眛曰「漢所以不撃取楚、以眛在公所。若欲捕我以自媚於漢、吾今日死、公亦隨手亡矣。」乃罵信曰「公非長者!」卒自剄。信持其首、謁高祖於陳。上令武士縛信、載後車。信曰「果若人言、『狡兔死、良狗亨。高鳥盡、良弓藏。敵國破、謀臣亡。』天下已定、我固當亨!」上曰「人告公反。」遂械繫信。
至雒陽、赦信罪、以為淮陰侯。
(『史記』巻九十二、淮陰侯列伝)


韓信は前から交友があったという項羽の将鍾離眛を匿っていた。また、韓信はどうも国内の巡回時などに兵を多数引き連れてもいたらしく、思うに、そういった行動が謀反の疑いとされたのではなかろうか。



更に、「高祖且至楚、信欲發兵反」といった表現からすると、韓信は実際に反乱を考えていたように思われ、このあたりの韓信は「劉邦に騙された被害者」という感じには思えない。



大体、酈食其は見殺しにするし、劉邦に対しても援軍と王位を天秤に掛けさせているし、そもそも劉邦に睨まれる要素がこの時点までで満載である。その割に劉邦は自分を粛清しないだろうと思っていたり、鍾離眛の首差し出せばどうにかなると思っていたり、どうも中途半端でどっちつかずな判断しか出来ていない。


これまで戦争で見せてきた洞察力や策謀のようなものが一切見えてこない。まるで別人のように思えるが、まあ、これが淮陰侯韓信なのだろう。