孔丘先生の子孫とその末路

及至秦始皇兼天下、燔詩書、殺術士、六學從此缺矣。陳渉之王也、魯諸儒持孔氏禮器往歸之、於是孔甲為渉博士、卒與倶死。
(『漢書』巻八十八、儒林伝)


あの孔子こと孔丘先生の子孫、孔鮒(孔甲)とその仲間の儒者たちは、陳勝が秦に背き楚王を称したと知ると、みな孔丘先生流派の祭祀の道具を手に陳勝の元に馳せ参じた。

孔鮒は陳勝に博士とされたが、陳勝と共に滅んでしまったと言う。




なんか既視感が・・・。


孔丘先生が公山弗擾の誘いに乗ったらどうなっていたのか、という疑問の答えが孔鮒なのかもしれない。


孔丘先生が子弟に骨の髄まで叩き込んでいた思想は子子孫孫まで伝わっていたという事なのだろう。