陳寿の本心その4

評曰漢末天下大亂、雄豪並起、而袁紹虎眎四州、彊盛莫敵。太祖運籌演謀、鞭撻宇內、擥申商之法術、該韓白之奇策、官方授材、各因其器、矯情任算、不念舊惡、終能總御皇機、克成洪業者、惟其明略最優也。抑可謂非常之人、超世之傑矣。
(『三国志武帝紀)

陳寿による曹操評。「非常之人、超世之傑」は曹操を評する言葉として最近よく引用されているようだ。
だが、陳寿曹操を手放しで絶賛しているかというとそういうわけでもないと思う。

どこからそれが読み取れるかというと、「擥申商之法術、該韓白之奇策」(「申不害、商鞅の法術を用い、韓信、白起の奇策を兼ね備え」)という部分。

韓信は奇策を用いての少数での大勝などで有名。
白起も秦の将軍として各地を征服し、長平の戦いでは40万人の趙兵を降したことで有名。
どちらも名将と言ってよいだろう。
ただし、王位を奪われ謀反を企んだ挙句に殺された韓信、長平の戦いで40万人を皆殺しにし、最期は秦王の意に沿わず自殺を命じられた白起、どちらも末路は悲惨であり、手放しで褒め称えたいなら他の人物を選びたいところである。


また、「申商之法術」とはどういうものとして認識されるものであったかも問題である。

仲舒對曰・・・至秦則不然。師申商之法、行韓非之說、憎帝王之道、以貪狼為俗、非有文紱以教訓於下也。誅名而不察實、為善者不必免、而犯惡者未必刑也。是以百官皆飾虛辭而不顧實、外有事君之禮、內有背上之心、造偽飾詐、趣利無恥。・・・
(『漢書董仲舒伝)

「申商之法術」つまり法家は前漢の大儒董仲舒から厳しく指弾されている。これは極端な事例かもしれないが、法家といえば秦から道徳を失わせた諸悪の根源という扱いである。
儒学の素養が知識人の前提条件である陳寿の時代にあっては、「申商之法術」は褒め言葉ではなく罵倒語であった可能性すらあるということだ。


陳寿は当然韓信や白起の末路は知っていただろう。
また「申商之法術」がどんな扱いなのかも知っていたはずだ。
それは陳寿の『三国志』を読んだ当時の知識人たちも同様である。
それでも曹操を評する際にそれらを引用するということは、暗に曹操は軍事的才能は豊かでも忠節や人徳は薄く、「申商之法術」などという偽りの道を広めた張本人なのだ、と伝えようとしたということなのだろう。

これはどう見ても絶賛ではない。むしろ明言しないだけで実際には厳しい評価をしていると言ってもよい。