陳寿の本心その5

評曰、先主之弘毅𥶡厚、知人待士、蓋有高祖之風、英雄之器焉。及其舉國託孤於諸葛亮、而心神無貳、誠君臣之至公、古今之盛軌也。機權幹略、不逮魏武、是以基宇亦狹。然折而不撓、終不為下者、抑揆彼之量必不容己、非唯競利、且以避害云爾。
(『三国志』先主伝)

前項(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090723/1248274879)の続き。

今度は劉備についての陳寿評を見て曹操評と比較してみよう。

一見すると絶賛しているようにしか見えないのは曹操と同じである。

しかし、曹操韓信、白起になぞらえた陳寿劉備のことは「高祖之風」と評する。漢の高祖劉邦、すなわち漢帝国400年の始祖である。
韓信、白起とは逆で、軍事的才能には疑問を感じる人も多いだろうが彼が秦帝国を降し、項羽を滅ぼし、天下を統一して400年帝国の礎を一代で築いたのは間違いない。
よくよくかんがえれば曹操とエライ違いである。魏を正統とするなら蜀に拠って皇帝を称した劉備は僭称者でしかないはずだが、この評価はそれを感じさせない。
どっちが正統王朝なのか分からなくなる。

また、評の後半では「機權幹略、不逮魏武、是以基宇亦狹」と、「高祖之風」でありながら蜀しか得られなかった理由を説明している。

「機転や知略が魏武帝曹操)には及ばなかったから、領土が狭かったのだ」

言い換えれば、「機權幹略」といった部分以外では、少なくとも曹操に負けてはいないということだ。
曹操評と照らし合わせて見れば、人品や道徳においては劉備の方が上と陳寿は考えていたと思われる。

さらに陳寿は言う。
「勢いをくじかれても曹操に降らなかったのは、曹操の度量を考えてみて、自分を容れることが出来ないと思ったからだ。ただ利を争っただけではなく、害を避けるためでもあったのだ」
これはなんだか言い訳のような文だ。
もしかすると、「劉備曹操に降っていれば戦乱は早く終わったのに」的な批判が当時存在し、陳寿はそれに答えたのではないだろうか。
「魏武は先主の存在を受け入れるだけの度量が無いから降ったらいずれ殺される。自分が殺されると分かってて降る奴がいるか?」という劉備弁護である。
と同時に、曹操の度量が狭いと言っており、暗に曹操批判も含んでいる。


この評だけを見ても分かりづらいが、曹操たち魏の三祖の評と比べれば、劉備評は極めて好意的であることが分かる。