皇と帝2

閏月甲午、追尊皇祖為孝元皇、夫人夏氏為孝元皇后、考為孝仁皇、夫人董氏為慎園貴人。
(『後漢書』孝霊帝紀)

「皇帝」号について。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090704/1246690469において前漢の例を挙げたが、後漢でも霊帝は自分の実の祖父と父に「孝元皇」「孝仁皇」という尊号を贈った。

ここでも「帝」は使っていない。
「皇」は実権が無く、「帝」は即位した者だけ、という原則を守っている。

おそらく、前漢哀帝の実母と祖母に「帝太后」「帝太太后」の号を奉ったのが唯一の例外ではないだろうか。


しかし、魏では全く話が変わってくる。

追尊皇祖太王曰太皇帝、考武王曰武皇帝、尊王太后曰皇太后
(『三国志』文帝紀

追尊高祖大長秋曰高皇帝、夫人吳氏曰高皇后。
(『三国志』明帝紀

魏では、皇帝にならなかった曹操、その父の太尉曹嵩、更には血の繋がらない祖父である宦官曹騰に「皇帝」の号を追尊しているのである。

この違いはどこから来るんだろうか。