霊帝の息子たち2

吳書曰馥以書與袁術云「帝非孝靈子、欲依絳・灌(周勃・灌嬰)誅廢少主、迎立代王故事・・・(後略)」『三国志公孫瓚伝注

韓馥・袁紹らが劉虞を皇帝に擁立しようとした際に袁術を説得した時の言葉。
なんか献帝霊帝の実子じゃないと言われている。

ちなみに周勃・灌嬰ら功臣たちは呂后死後に呂氏を滅ぼすと、そのときの皇帝を呂氏の子供だと断じて殺害し、代王(文帝)を皇帝に立てた。

なんだか、前漢の燕王旦も似たようなことを言っていたような。

もちろんこれは単なる方便かもしれないが、少帝も献帝霊帝が死ぬまで皇太子にも王にも立っていなかったので、下手をすると世間ではそのような皇子の存在すらあまり知られていなかったのかも知れない。


にしても、「迎立代王故事」にのっとると偽帝献帝は殺されることになりますなぁー。