霊帝の息子たち

少帝(劉弁)は、父霊帝が後継者に指名したわけではなかった。
献帝は、父霊帝に後継者指名されたということになっているが、実際の即位は董卓による力ずくのものであった。

後漢末の混乱時期に即位したこの二帝は、どちらも正統性に疑問が付けられる皇帝であった。
霊帝の遺言があったとされる献帝にしたって、実際の即位の状況は当時の識者にしてみれば董卓が傀儡として擁立しただけでしかないだろう。

「勤皇の士」であっても、この二帝の双方、あるいはどちらかに忠誠を尽くすとは限らない。
「こちらのお方こそ正統な帝にふさわしい」と別の人物を連れて来ても不思議ではないのだ。

この、「正統な皇帝が存在しない」という異常事態こそが各地での群雄の勃興や中原逐鹿を激化させる一因だったのではないだろうか。
独自に自分の都合の良い皇帝を立てたり、霊帝の息子たちに従わないという行為を正当化する余地ができてしまったのである。


http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090116/p2
に触発されますた。