異姓養子禁止令その3

そういえば、蜀漢で異姓養子と言えば劉封がいるんだった。


あるいは、「兄劉封」がいたことになる皇帝劉禅としては、本当は異姓である劉封の存在を消して自分の皇帝としての地位を固めたい、という意図があったのかもしれない。


劉封自身は既に死んでいるが、彼には息子がいたことになっている。彼が「先帝の長子の子」として祭り上げられでもしたら少々面倒である。



もしかして、劉封の子も実は「劉林」ではなく「寇林」となっていた・・・?