気が付いたら陳留王

十二月壬戌、天祿永終、暦數在晉。詔羣公卿士具儀設壇于南郊、使使者奉皇帝璽綬冊、禪位于晉嗣王、如漢魏故事。甲子、使使者奉策。遂改次于金墉城、而終館于鄴、時年二十。
(『三国志』巻四、陳留王紀、咸熙二年)


三国志』陳留王紀を読む限り、曹魏の最後の皇帝曹奐が退位した時に晋によって陳留王に封建されたことは、『三国志』では明記されていないのでは・・・。*1



冒頭に「陳留王」と書かれているから、予備知識が無くても推測はできるだろうが、なぜその数文字を書かないのだろうか・・・?



なお彼が死後に「元皇帝」になったことも書かれていない(書かれているのは注)が、これは編纂時期の問題かもしれない。

*1:注では書かれている。