母と別居

(臧)宮永平元年卒、謚曰愍侯。子信嗣。信卒、子震嗣。震卒、子松嗣。元初四年、與母別居、國除。永寧元年、訒太后紹封松弟由為朗陵侯。
(『後漢書』列伝第八、臧宮伝)

後漢光武帝の功臣の一人臧宮の子孫である臧松は、「母と別居した」ことを理由に臧宮以来の領国を失うこととなったらしい。




詳細はここからは良くわからないが、母を養護せずにいた親不孝とみなされたのだろう。




母に背いたとか虐待したとかではなく、別居したというだけでも処罰されるような事だったようだ*1

*1:実際には兄弟のうち誰かが養護していれば大丈夫だったんじゃないかとは思うが、この時の臧松は多分母を独りにしておいたのだろう。