江東へ避難2

曹休字文烈、太祖族子也。天下亂、宗族各散去郷里。休年十餘歳喪父、獨與一客擔喪假葬、攜將老母、渡江至呉。以太祖舉義兵、易姓名轉至荊州、閒行北歸、見太祖。
(『三国志』巻九、曹休伝)


昨日の話の後に思ったが、この曹休の江東への避難はいつのことで、いつ復帰したんだろう?




避難しそうなタイミングというと、黄巾の乱董卓以降、曹操挙兵の時だろう。



曹嵩なんかは曹操が挙兵した頃に徐州へ避難したように思える。



曹休も実際には曹操が挙兵した時に避難を始め、その後呉郡が騒がしくなってから北へ戻ろうとした、というところじゃなかろうか?よく分からないけど。