江東に避難(避難とは言ってない)

従父諸葛玄が袁術の予章太守になった時に父を失っていた諸葛亮らは随行したという。



一方、ロバ(諸葛瑾)について、『三国志諸葛瑾伝では「漢末避亂江東」とされている。




この二つを合理的に解釈すると、袁術に仕えた過去を『三国志』ではしばしば「江東に避難していた」と表現した、ということか?



おそらくはロバの方は諸葛玄に付いていっただけではなく、そのまま袁術の元で何らかの官に就き、そこで孫権の元に居着いたのだろう。