曹植、服喪の動機

昨日の記事の後で思ったこと。




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曹丕の即位の時に曹植が服喪したという話がある。つまり献帝の喪に服したということになる。



思えば、この話も本質は昨日の陳群・華歆と同じだったのではないか?




漢王朝の恩顧を受けた(少なくとも漢王朝の列侯ではあった)人間として、皇帝が殺されたという風聞があった以上(なにしろ父曹操自身が自分を周の文王とすることで、暗に息子を周の武王=天子を攻め殺した人物に擬えていたのだから、殺したとの早合点もやむを得ない。大体曹操が悪い。)、自分の家が新たな王朝を開いたことを喜ぶよりも、大恩ある漢王朝の皇帝の死を悼むべき、という一種の義務感があったんじゃないか。





曹丕の所業を非難しているとかいった話ではなく、当時の規範として、一種の義務感、義理によってそうすべき、その方が望ましい、という感覚があったということではないか、と思う。



問題は、曹丕がそのあたりを真に受けてかなり気を悪くしているということだ。