曹瑜について考えてみた

(曹)洪族父瑜、脩慎篤敬、官至衛將軍、封列侯。
(『三国志』巻九、曹洪伝)


曹洪の族父、曹瑜。



彼の経歴を想像というか妄想というか、まあ考えてみる。



曹瑜は曹洪曹操より1つ上の世代。


むろんそれだけで曹洪曹操より年上とは限らないが、同年代以上の可能性は高いだろう。



つまり霊帝時代に顕官に就いていた曹氏たちの一員ということであり、曹瑜も霊帝時代にかなり出世していたのではなかろうか。




そして、献帝の許県捕囚時代にも朝廷にいたとすれば、もともと高官だったという経歴と曹操との関係性から漢の朝廷において曹氏サイドの重鎮となることは疑いようがない。


もっと言えば、漢の朝廷にはほとんどいた試しのない曹操に代わって朝廷を軍事的に牛耳る存在になったのではないか。そんな大事な役目は血縁、姻戚などの縁者に任せるものだ。




つまり、曹瑜は建安年間の漢の朝廷における衛将軍だったのではないか。



記録がまるで残らないのは、董承のように誅殺されたわけでもなく、さりとて魏王朝成立まで長生きもできなかったという、いわば狭間の時代を大過なく生きていたからではないだろうか。


その役割からすれば戦争で功績を立てるといったことと無縁で不思議はない。




まあ、あくまでも想像だが。