電波塔

【電波注意】


齊王諱芳、字蘭卿。明帝無子、養王及秦王詢。宮省事祕、莫有知其所由來者。青龍三年、立為齊王。
【注】
魏氏春秋曰或云任城王楷子。
(『三国志』巻四、斉王芳紀)


魏の明帝の後継者となった斉王芳は明帝曹叡の実子ではないことは明らかなのだが、彼については宮中の極秘事項であり実父などが明らかになっていないと陳寿は述べている。


しかし、注を信じるなら系統上明帝のイトコにあたる任城王楷の子だと言う。
斉王芳は明帝の甥、ということになる。



後継者の無い皇帝が甥などを養子に迎え入れるというのは漢代にしばしばあったことで、ことさらに極秘事項とするようなこととも思えない。



いったい、この件は何を隠したいというのだろうか。




ところで、明帝が斉王芳を王に立てた、つまり事実上養子として公式に認めたのは青竜三年。この年、明帝はまだ三十二歳のはずである。


明帝は嗣子が無かったとはいえ皇子がいた事は記録されているので、下世話な表現になるが「種なし」ではなかったのである。
「種なし」でもない三十代前半の男が、実子の誕生を諦めて養子を後継として考えるものなのだろうか。


もちろん皇帝という代わりのきかない立場なので、万が一に備えただけだ、と言われればそれまでである。

しかし、もし後から実子が生まれれば後継候補としての斉王の立場は物凄く微妙になり、朝廷内の勢力争い、後継者争いの元にもなりかねない。




そしてもう一つ明帝について思うのは、実子が何度も夭折していることである。
明帝には実子が何人もいたのにみんな死んでいたために後継者に悩んでいたのだ。




何か、きな臭く感じるのは自分だけだろうか。




さて、http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120325/1332606154で書いたように、もし仮に明帝が文帝の実子でないどころか曹氏の血を引かない連れ子だったとしたらどうだろう。



明帝の子が王になり、次の皇帝となれば、もはや宗室としての武帝曹操の血を引く者の立場は無くなる。
明帝の血を引く者の方が上位となっていくことは明らかであろう。


阻止できるとすれば、明帝の時しかない。
明帝の子たちが何人も成人して王となってしまえば、もはや止められない。
一人を排除しても、次の皇帝候補も明帝の血を引く者になってしまうではないか。



かくして、明帝の実子たちは曹氏や曹氏の血を守ろうとする臣下によって密かに暗殺されていく。
明帝が子を成し、王に立てればすぐに毒殺していったのだろう。



明帝もそのメッセージに気付いただろう。
武帝・文帝の血を引かないお前の次の代は無い」と。

そして明帝はついにその勢力の前に屈する。



それが斉王芳らを養子にした件である。
明帝が死んだら、次の皇帝は武帝の血を引く者となるのだ。



だがこのような陰惨な裏は記録には残せない。
なぜ若くして養子を取らなければいけなかったのか。その手がかりさえも秘密にされなければいけない。徹底的な口封じ。

かくして「宮省事祕、莫有知其所由來者」という事態が訪れる。



秘密にしたかったのは斉王芳の血統そのものではない。
明帝と文帝の血統の違いが生んだ陰惨な裏を持つ養子縁組だったということを隠すためには、どんな血統の人物を養子にしたのかさえも秘密にしておくしかなかったのだ。





というたわ言であったとさ。