魏氏春秋曰、夏侯惇謂王曰「天下咸知漢祚已盡、異代方起。自古已來、能除民害為百姓所歸者、即民主也。今殿下即戎三十餘年、功徳著於黎庶、為天下所依歸、應天順民、復何疑哉!」王曰「『施于有政、是亦為政』。若天命在吾、吾為周文王矣。」
(『三国志』巻一、武帝紀注引『魏氏春秋』)
『三国志』の裴松之注では、建安24年に孫権が関羽を破った頃の話として『魏氏春秋』を引用している。
それによると夏侯惇が漢王朝の命脈は尽きたので曹操こそが即位すべきという旨のことを言ったとされ、曹操はそこで有名な「ワイは周の文王じゃろか」と返した、とされる。
よくよく考えてみると、夏侯惇が曹操に勧めているのは「自ら皇帝になれ」ではないのか?
なぜなら、この時点では漢の皇帝(献帝)は自ら譲位の意思を示したような形跡はない。
譲られていないのだから、譲られた地位を受けるという話ではないのではないか。
つまり、「漢の皇帝の意思と関わりなく自ら皇帝を名乗れ、曹操の功績と徳なら民もこちらに付いてくる」という話をしているのでは?
もし「皇帝の地位を曹操に譲るべきだ」という話をするなら、曹操相手に言っても仕方ないだろう。それは本来なら献帝の方に進言すべき事柄のはずだ*1。