宛の李氏と安衆の劉氏

李軼後為朱鮪所殺。更始之敗、李松戰死、唯(李)通能以功名終。永平中、顯宗幸宛、詔諸李隨安衆宗室會見、並受賞賜、恩寵篤焉。
(『後漢書』列伝第五、李通伝)


後漢書』李通伝に、後漢明帝が宛に行幸した時、宛の李氏たちに対して安衆県の劉氏たち(先日の記事の安衆侯劉崇一族)との面会に同行するよう命令したのだという話がある。




なぜ明帝は李氏を指定したのか。これは皇帝の縁戚でもある李氏への恩寵なのだろうか。


聞世祖在河内、即追及於射犬、以為騎都尉、與馮異共拒朱鮪・李軼等、軼遂殺隆妻子
(『後漢書』列伝第十二、劉隆伝)


安衆の劉氏の劉隆は、宛の李氏である李軼に妻子を殺されている。



後漢における安衆の劉氏の出世頭劉隆は、李氏に対して遺恨があることになるのではないか。


(居攝元年)四月、安衆侯劉崇與相張紹謀曰「安漢公莽專制朝政、必危劉氏。天下非之者、乃莫敢先舉、此宗室恥也。吾帥宗族為先、海内必和。」紹等從者百餘人、遂進攻宛、不得入而敗
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

一方、安衆の劉氏のドン安衆侯劉崇は、王莽に対して反乱を起こした時に宛県を攻めている。


失敗したとはいえ李氏の本拠宛県はいち早く戦火にさらされたのである。



宛の李氏は、安衆の劉氏に対して遺恨があることになるのではないか。




もしかするとだが、宛の李氏と安衆の劉氏は互いに遺恨を抱える関係になっていて、明帝は、この遺恨の解消のために敢えてこの両者を自分を中心にして対置させたのではないか。


皇帝のワイが仲を取り持つから、互いに遺恨は水に流すんやで、という感じで。




まあ、これを皇帝自らしてくれるというのは、それはそれで一種の恩寵かもしれない。