(鄧)艾遣子惠唐亭侯忠等出其右、司馬師纂等出其左。忠・纂戰不利、並退還、曰「賊未可撃。」艾怒曰「存亡之分、在此一舉、何不可之有?」乃叱忠・纂等、將斬之。忠・纂馳還更戰、大破之、斬(諸葛)瞻及尚書張遵等首、進軍到雒。
(『三国志』巻二十八、鄧艾伝)
鄧艾の蜀漢攻めの際、その司馬であった師纂は益州刺史とされるなど鄧艾の傍にいて働いたようなのだが、最後の引用を見る限りでは師纂も上司鄧艾を弾劾したのだという。
一度敗退して鄧艾に処刑されそうになっているので、実は鄧艾を恨んでいたのだろうか?それとも傍にいた者からしても、鄧艾の言動は問題があったと見えたのだろうか?
まあ、鍾会こと小畜生の偽造だったりするかもしれないが・・・。
それと、師纂は鄧艾と一緒に死んだとされているので、一緒に檻車でドナドナされていたのかもしれない。
上司を弾劾したらその上司と一緒に捕まったのだとすると、一種の自爆である。