『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その64

その63(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/22/000100)の続き。





五月、遣楚人陸賈使南越、立尉佗為王。
佗者、秦時為南海郡尉。因天下之亂、遂有南越。
賈至、尉佗椎髻箕踞見賈。賈曰、足下中國之人、親戚昆季墳墓在真定。今足下反天性、棄冠帯、欲以區區之越、與天子抗行為敵國、禍且及身矣。天子聞君王南越、不助天下誅暴秦、將欲移兵於王。天子為百姓勤勞、遣臣授君王印綬、剖符通使。王且郊迎北面稱臣、乃欲以新造未集之越、屈彊於此。漢誠聞之、掘燒王先人墳墓、夷滅宗族、遣一偏將、將十萬師以臨越。越人即殺王降漢、如反手耳。於是尉佗乃蹶然起坐而謝曰、吾居蠻夷中久、殊失禮儀。因問賈曰、我孰與蕭何曹參賢。賈曰、王則賢矣。復問我孰與皇帝賢。賈曰、皇帝起豐・沛、討暴秦、誅彊楚、為天下興利除害、繼五帝三王之業、統治中國、政由一家。自天地剖判已來、未曾有也。今王衆不過數十萬、皆蠻夷崎嶇山海。譬猶漢之一郡、何乃比於漢也。佗大笑曰、吾不起中國故王此。使我起中國、何遽不若漢。乃遂受符印稱王。賜賈橐中裝直千金、餘贈送亦千金。賈還報命。拜太中大夫。
賈時上前說詩書。上罵之曰、吾居馬上得天下、安用詩書乎。賈對曰、陛下居馬上得之、寧能馬上治之乎。且湯武逆取而順守。文武並用、久長之道。昔呉王夫差極武而亡、秦任刑法不變而滅。向使秦已兼天下、行仁義、法先王、陛下安得而有之。上有慚色、謂賈曰、試為我著秦之所以失天下、吾所以得天下、及古今成敗之故。賈凡著書十二篇、毎奏一篇、上讀之未嘗不稱善。號其書曰新語。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第四)

南越、一応は漢の傘下となる。



南越王の尉佗(趙佗)は記事内にもあるように真定、すなわち趙の地の人間であり、秦の南海郡の郡尉から南越の地を平定して王となった人物である。


なお支配体制は秦の制度を保持したらしく、漢王朝よりも秦時代に近い制度を運用していたようだ。



本人が自慢げに語っているように、彼は確かに優れた人物ではあったのだろうが、陸賈が言うように漢が本気を出したらヤバいというのも事実だろう(その一方で、漢も流石に南越ほどの遠隔地には遠征しづらい)から、形の上では漢に臣従するというのが双方の落としどころだったのだろう。




秦の統一時代には郡が置かれていたこの地方に、この時代には事実上の独立政権が成立していたという事は注意しておいてもいいかもしれない。