『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その18

その17(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181118/1542467348)の続き。





八月、沛公攻武關。
趙高殺二世以請和、求分王關中。沛公不聽。高乃立二世兄之子嬰為王、嬰立、誅滅趙高、遣兵距嶢關。
張良曰、秦兵尚彊、未可輕也。願益張旗幟諸山上為疑兵。令酈食其持重寶以啗秦將、秦將果欲連和倶西。沛公欲聽之。良曰、今獨其將欲叛、士卒恐不從、從必危。不如因其懈而撃之。乃撃秦軍、大破之。
遂至藍田。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

劉邦、秦本国側に侵入。




秦の政治を牛耳っていた丞相趙高は二世皇帝を殺して劉邦に取り入ろうとするが失敗。新たに建てた秦王子嬰の逆クーデターを喰らって滅んだ。




秦は章邯の時点で無理目な強制徴発状態だったので、この時点では劉邦に対抗できるだけの兵力が出せないのだろう。




また秦の守将が簡単に裏切ったのは、『史記』留侯世家などによると商賈の子弟であるから、とされている。利によって動きやすい、という事か。秦は人材の面でも払底していたのかもしれない。


しかし、最初は「利益で釣って裏切らせなさい」と言っておいて、今度は「裏切ったのは将だけだからもろともに打ち破ってしまいなさい」と言い出す張良の畜生っぷりが染みる。



最後に到達している藍田はもはや都の咸陽とも目と鼻の先。ここまで攻めて来られたら既に王手どころか詰んでいる。