『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その22

その21(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181125/1543072096)の続き。





十有二月、遂至鴻門、欲撃沛公。
項羽季父項伯告張良令出、良曰、今事急、亡去則不義。乃告沛公、令見項伯、自解于項羽
沛公遂見羽於鴻門。亞父范筯欲撃沛公、羽不聽。范筯謂項莊曰、汝入以劍舞、因撃沛公。項莊既舞、項伯常以身蔽沛公。於是甚急、賢成君樊噲聞之、杖劍楯衝門而入、立於帳下。羽曰、壯士哉。賜之卮酒豚肩。既飲酒、拔劍切肉。肉盡、因責讓羽曰、沛公先定關中、以待大王。今大王聽讒臣之言、乃欲誅沛公。臣恐天下解心疑大王也。所以遣兵守關者、以備他盜也。羽默然、遂無誅。沛公乃還霸上。范筯怒曰、吾屬今為沛公虜矣。
羽遂殺子嬰、收其寶貨婦女而東。燒秦宮室、火三月不滅。
韓生説羽令都關中。羽曰、富貴不歸故郷、如衣錦夜行。韓生曰、人謂楚人曰沐猴而冠。果然。羽聞之怒、殺韓生。
羽所過殘賊、秦人失望。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第二)

激動の12月。




劉邦項羽に膝を屈して命を永らえた。いわゆる鴻門の会については今更なので詳しくは述べないし、『漢紀』においても割と超速で終わっている。





でもまあ、実際には樊噲の言ってたような事はただの言い訳で、本当は劉邦項羽を締め出して関中を占拠しようとしていたんですけどね。項羽が思ったより早くやってきて、あっという間に函谷関を突破したから「賊から守るため」と言い訳しているだけで。





劉邦には命を助けられていた秦王子嬰は項羽に殺され、関中も結局は破壊と略奪に晒された。



程度問題とはいえ、そこまでやらなかったと思われる劉邦の方に人気が集まるのも当然というところか。