『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その9

その8(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181103/1541170938)の続き。





春正月、張耳・陳餘收趙衆撃李良。良敗走、歸章邯。耳・餘乃立舊趙之後趙歇為趙王。
沛公將見景駒、遇張良于留。良韓人、其先五世相韓。及韓亡、良弟死不葬、悉以家財求客、報讎彊秦。秦始皇東游、良募力士撃之、誤中副車、亡匿下邳。游于圯上、有一老父至、直墮其履、顧謂良曰、孺子下取履。良甚怪愕、為其老乃取履跪而進之。父曰、孺子可教矣、後五日與吾會此。及期而良後至。老父怒之。凡三期而良先至。老父乃喜、遺書一編、曰讀此即為王者師。後十三年、見我于齊北穀城山下、黄石即我矣。遂去不復見。其書乃太公兵法也。良乃以説沛公、沛公善之。良曰、沛公殆天所授。故遂屬焉。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

劉邦、楚王になっていた景駒に会う。自分を裏切った豊と雍歯を攻めるためである。



そこで劉邦張良に出会った。この韓出身のテロリストは謎の兵法を学んだという触れ込みで劉邦に色々な知識や思想を吹き込んだという。



こうして見ると胡散臭さ満載の人物だが、とにかく劉邦の元に張良がやってきたのだった。